「絆」 陸前高田市、大船渡市 その2 [ボラ活]
その2 平成23年8月28日(日)
二日目は、防災や罹災時の対応に少しでも役立てられるよう現場を見て歩きました。
また、大船渡の仮設住宅にお邪魔して持って行ったトイレットペーパーをお届けさせていただくとともに、
日々の避難生活の大変さを教えていただきました。
被災地の空にも秋の気配が・・・ ALL: SONY DSC-W570
今回の宿泊場所は陸前高田市の市街地から30分くらいの所にあるコミュニティーセンターをお借りしました。
電気・水道等が完備されているので助かりました。
被災地視察の最初は、陸前高田市役所に向かいました。
ここの4階建ての建物全てが津波に覆われたそうです。
正面玄関には献花台が設置されていました。
数十人の職員の方がお亡くなりになったそうです。
ご冥福をお祈りさせていただきました。
執務室内は書類が散乱したままでした。
驚いたのは、市役所のロビーの奥に流されてきた乗用車があったことで・・・・ 絶句しました。
ここも、沢山の来客と職員で賑わっていたのでしょうけど・・・・・
市役所前の公園は被災自動車の保管場所となっていました。
その数に驚くばかりです。
被災車両と金属類の廃棄物が延々と覆いつくしていました。
海岸線近くにあったキャピタルホテルの5階以上にまで津波が到達した跡がありました。
遠目には被害が少なそうな建物でしたが、近づくと津波の威力に驚かされます。
以前は美しい松原のあった場所が、今は全てが流され地盤沈下で海になってしまっています。
津波が全てをさらっていって消滅したのです。
そして陸前高田しに別れを告げますが、我々を見送ってくれたのは うず高く積み上げられた瓦礫の山・・
その高さは10mを軽く越していました。
我々は大船渡駅に着きましたが駅の面影はプラットホームの残骸と所々見える線路だけで、駅舎も何も残されていません。
短い区間だけ残された線路も津波で大きく蛇行していました。
駅前通り
建物は少しづつ整理されてきていますが、ここでも広場には瓦礫が山を作っています。
この建物の最上階は難を逃れたようです
我々が鎌倉から運んできたトイレットぺーパーを、仮設住宅内の各戸に配ります。
お伺いし、我々の趣旨を伝え、お声がけさせていただきました。
皆さんが快く受け取っていただけたのが何よりです。
ここで暮らすお年寄りの方にもお話を伺いました。
小砂利の敷き詰められた地面が歩きにくそうです。
子供たちも元気です。
プレゼントした缶バッチを喜んでつけていました ♪♪
そのあと、若いメンバーと一緒に仮設住宅内大鬼ごっこ大会!! に発展です。
ふと足元にある石碑の残骸を読むと、昨年の秋ごろに被災50周年の記念に作られた石碑でした!
過去の被災を教訓として災害に強い街づくりを宣言した大船渡市の記念碑です。
とても強い運命のようなものを感じました。
今回の訪問が被災地全体のほんの一部でしかありませんが、ワタクシにとってはとても多くのことを考えさせられました。
被災地の人々の本当の気持ちに触れられたとは言い切れません。
だから、また機会があれば是非訪問して何かを感じとってきたいと思います。
まずは感じること。
それから何すべきかを考えるのでも良いじゃないですか・・
ではでは
半年近く経ったのにまだこんな状況だなんて・・・。
1日も早い復興を願ってます。
大船渡には最初の会社の同期がいるんですよ。
幸い彼の家族共々無事でした。
一時は連絡取れなくて心配でした。
by サトシ (2011-08-31 18:02)
seiyaさん
お疲れ様でした。ボランティアで行かれてたのですね~(^^)
僕は、あの光景を自分の目で見て、そして、20年近く前、自分の実家が震災で全焼した時に今は無き母親が「悔しすぎて涙も出ない」と言いながら狂ったように黙々と農作業を、「もう帰ろう」と声をかけ二人で夕日を見ながら涙したこと。
義捐金なんて1円も貰わなかったけど、どれだけ多くの人に助けてもらったか。それから十年、やっと何とかお世話になった皆さんにお礼を言い普通に接することが出来ると感じた時、母は65年の生涯を終えました。
今回、震災数日後の避難所の様子で、家も家族も失い「今までどれだけ幸せだったのかが今回の地震で分かりました。今はもう帰る家もないし食べ物も何もありません。」と淡々と語る小学生?女の子の言葉があまりにも鮮明すぎて。何か忘れていたものを思い出しました。
by DEE (2011-08-31 23:07)
>サトシさんへ、
約半年でもまだこんな惨状が残されています。
手付かずの建物や瓦礫がうず高く積み上げられていました。
これが消える日が一日も早く訪れることを祈っていこうと思います。
同僚の方がご無事で何よりでしたね。
by seiya (2011-09-02 20:23)
>DEEさんへ、
DEEさんの前では何も語れなくなっちゃいますが、
ワタクシなりに現地の惨状をを感じ取ってきました。
子どもたちと遊んできたんですが、何か打ち解け切れなかったことが残念です。
被災した子のPTSDばかり気になってしまったためでしょう。
もっとフランクに付き合えれば・・・と反省でした。
by seiya (2011-09-02 20:28)
まだまだ復興というにはほど遠いですね。
改めて阪神・淡路大震災との規模の違いを感じます。
物資も足りないし、物資以外のものも足りないんですね。
by charingo (2011-09-03 15:00)
わずかな支援と、気持ちで寄り添うことぐらいしかできませんが、ゆっくりでもいいから復興に向けて進んでいけばと思います。元気な子供達やお年寄りの笑顔には、こちらが勇気づけられる思いです。seiyaさんのアクションに敬意を表します。なによりです。
by b.b.mk2 (2011-09-03 15:50)
>charingoさんへ、
nice!&コメントありがとうございました。
今しばらく、時間がかかりそうですが、
数年後には新しい街づくりの形が見えてくっろことに期待しております。
今回の被災地の範囲や交通事情が復興のスピードにかなり影響していると思いますね。
by seiya (2011-09-04 13:24)
>b.b.mk2さんへ、
nice!&コメントありがとうございました。
被災地のことを忘れず思い続けていけば、直接的、間接的にかかわらず復興の一助になると思います。
健康な限り現地に出向きたいですね。
それがボランティアでなくても、サイクリングでもツーリングでもいい、
現地に足を踏み入れて何かを置いてきたいな! と思っています。
by seiya (2011-09-04 13:31)
はじめまして
突然のご連絡で失礼いたします。
(株)スズオキデザインの鈴置と申します。
震災復興の画像をネットで検索し、本ブログを
拝見させていただきました。
現在、震災復興案の資料を作成しており、その中で
本ページの大船渡駅の被災画像を使用させて頂き
たくコメントさせていただきました。
詳細等ご連絡させていただきたいのですが、お時間の
あります時にご連絡を頂けないでしょうか。
メールアドレス
info@suzuoki.net
どうぞ宜しくお願いいたします。
鈴置 崇真(Takamasa Suzuoki)
Email:info@suzuoki.net
TEL:0565-41-5244 FAX:0565-41-5305
(株)スズオキデザイン
by スズオキデザイン 鈴置 (2012-01-31 13:26)
>鈴置 崇真さんへ、
この度は、拙ブログにお越しいただい、有難うございました。
ご依頼の件につきましてメールさせていただきましたので、
ご確認のほど、宜しくお願いいたします。
ではでは
by seiya (2012-02-04 10:39)